ジーニアス・コードはリアル講座をお勧めする理由
- Hisae Ishigamori
- 2024年7月16日
- 読了時間: 3分
更新日:2月1日

ジーニアス・コード講座は当初、自習用の音声教材としてデビューしました。
国土が広いアメリカでは集合型の研修よりも、自習教材が好まれます。しかし、日本ではフォトリーディングのおかげで、集合型の講座が好まれてきました。
ジーニアス・コードはイメージからヒントを得る発想法。
個人的には最もハードルの高い講座ではないかと思っています。 なぜなら、
自分は適切なイメージが得られているのか
そもそもイメージを見られている、感じられていると言えるのか
イメージの中の何を取り上げればいいのか
取り上げたものと質問は同関連しているのか
関連がつかめない=答えが得られないときどうすればいいか
無理やり解釈してもそれは本当に正しいのか
そもそも質問が間違っているということはあるのか
などなど…。
次々に疑問がわいてきて、「それであっている」と言われても、どうあっているのか、確証が持てないからです。
実はこれ、講師が「それであってますよ」と言われても、不安を拭いきることはできません。
それがあっているかどうかは、自分で決めるしかない。 それがジーニアス・コードの特性だからです。
ジーニアス・コードの特性については、別の記事でお話しします。
じゃあ、自習教材では身につかない?
そんなことはありません。
米国でジーニアス・コードのリトリートに参加した時、諸外国からやってきた受講生の方々は、精度の差はあれ、おのおの勝手にジーニアス・コードを使っていました。
米国でジーニアス・コードの講座が開催されたのは、数年に一度、数えるほどです。
一方日本では集合型の研修をスタートしてから、面白いシンクロが起こりました。当初はそれぞれに上に挙げたようなお悩みに捉えられていました。しかしテーブルで誰かひとり、イメージ解釈に成功すると、それからは連鎖的に解釈がスムーズになり、あれよあれよという間に皆さんの天才性が開いていくのです。
一人で学修するときは、当然ですが自分一人、思考パターンも視点も一つきりです。
「これでできているのか?」と疑いながらイメージ・ストリーミングや解釈をしていると「できてないかもしれない」という疑いに引っ張られて大胆なイメージ、解釈ができなくなってしまいます。
ここに第三者がいれば、以下のような効果が表れます。
状況がわかっていない人に、課題の背景を話すと自分の中で課題のポイントが整理される
見ていない人にイメージストリーミングで受け取ったイメージを話すことで、イメージの中で不鮮明だったことも明瞭になる
イメージを説明する言葉の中に解釈につながるキーワードを発見できる
人に話すことで、自分でも違和感のある所やフォーカスしてしまうところが見つけやすい
人に話すという軽度のプレッシャーがあることで、こじつけや関連付けが起こりやすくなり、結果、解釈があっさりできるようになる
第三者の目から「岡目八目」で気づいたことを話してもらうことで、視点が変わり、意識していなかった思考の枠組みを出ることができる。
自分の課題が相手にも突破口となるヒントを与えている子tがある
ほら、いいことだらけでしょう?
実は日本人の国民性も集合講座に向いています。
日本人は押しつけタイプが少なく、どちらかというと自分以外にも何人か賛同者がいて安心する性質を持っています。したがって、みんなでワイワイ解釈したほうが納得のいく答えを得られることが多いのです。
わざわざ教室まで出向いて行って、時間を拘束されるのはちょっと…というお考えもあるかもしれませんが、ジーニアス・コードを短期間で使えるものにしたい方は、教室に出かけて行って他者と息を交わしながら、天才性を開花していってはいかがでしょうか?
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